ファーム富田の歴史
FARM TOMITA HISTORY
開拓期の明治から平成へ
1903年(明治36年)に忠雄の祖父、富田徳馬がこの中富良野原野に鍬を入れてからラベンダー栽培に未来を見いだした最盛期と輸入香料の台頭による苦悩の日々、カメラマンや旅行者が訪れ始め新しい形の農業へと踏み出して現在にいたるまでの歩みを当時の写真を交えて紹介する年表です。
中富良野に鍬を下ろした富田家の人々
1897年 | (明治30年) | 「北海道国有未開地処分法」制定以降、北海道への移住者が急増する。 |
---|---|---|
1903年 | (明治36年) | 初代富田徳馬(忠雄の祖父)がこの中富良野原野に鍬を入れる。 |
1906年 | (明治39年) | 富田徳男(忠雄の父)が生まれる。 |
1932年 | (昭和7年) | 富田忠雄が生まれる。 |
1936年 | (昭和11年) | 幸子(忠雄の妻)が富良野宮本家の四女として生まれる。 |
ラベンダーの適地は北海道 中富良野でラベンダー栽培が始まる
1937年 | (昭和12年) | 曽田香料の創始者・曽田政治氏が化粧品の原料としてフランスよりラベンダーの種5kgを入手する。 その後、日本各地で試験栽培が行われる。 |
---|---|---|
1940年 | (昭和15年) | 曽田香料が現在の札幌市の農場(16.4ha)にラベンダーを植え付ける。 翌年、現在の共和町の農場(46ha)にも植え付ける。 |
1942年 | (昭和17年) | 日本で初めて蒸留によるラベンダーオイルの抽出に成功する。 |
1952年 | (昭和27年) | 中富良野でラベンダー栽培が始まる。 |
忘れられない紫の海"ラベンダー"に恋した21歳の夏
1953年 | (昭和28年) | 上田美一氏(富良野地方におけるラベンダー栽培の先駆者)のラベンダー畑に出会う。 忠雄21歳の夏。農業に希望を見いだせず、農作業に追われながらも将来を模索する日々を過ごす。 |
---|
すべてはここから
1958年 | (昭和33年) | 忠雄結婚。念願だったラベンダー栽培を、妻幸子と本格的に開始する。 10aのラベンダー畑が誕生する。 (現在のトラディショナルラベンダー畑) |
---|---|---|
1965年 | (昭和40年) | 7年を要し、ラベンダー畑を1.2haに 拡大する。 |
「トラディショナルラベンダー畑」を背にした富田家の人たち
ラベンダー蒸留所で未来を夢見た最盛期
1970年 | (昭和45年) | ラベンダー栽培がピークを迎える。富良野地方全体で230ha以上、約250戸の農家がラベンダー栽培を手がける。北海道全体(大半が富良野地方)のラベンダーオイル生産量は5tを記録する。 |
---|
最盛期のラベンダー畑。除草・刈り取りと女性たちの
労力は欠かせない
苦境に立たされるラベンダー農家
1972年 | (昭和47年) |
ラベンダー農家に冷たい風が吹き始める。合成香料の急激な技術進歩と貿易の自由化による安価な輸入香料の台頭で、香料会社のラベンダーオイルの買い上げ価格が下がる。 採算がとれず、これから最盛期を迎えるというラベンダー畑を、涙をのんで株ごとすきこんでいった農家も少なくなかった。この時、日本のラベンダー畑は富良野地方を残すだけとなる。 |
---|
ラベンダーのいのちを守りたい
1973年 | (昭和48年) | 香料会社がラベンダーオイルの買い上げを中止する。富良野の丘を彩っていたラベンダーのほとんどが姿を消す。 「ラベンダーをなんとか作り続ける道はないものか」と、稲作で生計を立て、再生の道を模索する日々が続く。 |
---|
1枚のカレンダーがラベンダー畑の美しさを全国へ
1976年 | (昭和51年) | ラベンダー畑が国鉄のカレンダーにより全国に紹介されて次第に観光客が訪れ始める。
カレンダーに採用されたこの景色が幸運を運んでくれた。 |
---|
ラベンダーの花と香りを生かした農場づくりへ 新しい夢をかける
1977年 | (昭和52年) | 旅行者からポプリやサシエ(匂い袋)の作り方を習う。「畑の管理費用だけでも得られたらラベンダー畑はつぶさなくてすむ」との思いから、工夫を凝らしたポプリやサシエを作り、玄関先での販売を始める。 |
---|
念願のオリジナル香水「フラノ」誕生
1980年 | (昭和55年) | 独自に蒸留を始め、ラベンダーオイルの抽出に成功する。 初めての香水「フロム」を委託製造で販売する。 |
---|---|---|
1984年 | (昭和59年) | 化粧品製造業の免許を取得し、オリジナル香水「フラノ」を製造する。 |
プロヴァンスのラベンダー生産者組織より修道騎士の称号を受ける
1987年 | (昭和62年) | 石けん製造業の免許を取得する。オリジナル石けん「ソープラベンダー」を発売する。 |
---|---|---|
1989年 | (平成元年) | 稲作をやめ、ラベンダー・ハーブ・花卉の栽培、加工及び販売に専念する。 |
1990年 | (平成2年) | 南フランスのラベンダー生産者組織から、ラベンダー栽培の功労者に贈られる称号「オートプロヴァンス・ラベンダー修道騎士」を授与される。
授与式の壇上で祝福を受ける。 |
真冬にラベンダーが開花
1991年 | (平成3年) | 三笠宮寛仁親王同妃両殿下、※(現)駐日英国大使御来園。 ※2005.5月現在 |
---|---|---|
1993年 | (平成5年) | 「花人の舎」がオープンする |
1999年 | (平成11年) | 冬期間のラベンダー開花に成功する。(グリーンハウス) |
2000年 | (平成12年) | 高円宮同妃両殿下御来園。 |
これからも大好きなラベンダーとともに・・・
2003年 | (平成15年) | 世界各国の花材で彩られた空間「ドライフラワーの舎」をオープンする。 |
---|---|---|
2003年 | (平成15年) | 天皇皇后両陛下御来園。 |
2008年 | (平成20年) | 「ラベンダーイースト」がオープンする。
ラベンダーイーストから夕張山地を望む |
2019年 | (令和元年) | 南フランスにて、「ラベンダー修道騎士」の称号を改めて授与される。
|
2021年 | (令和3年) | 花人の舎2階に「香りの体験室」が オープンする。 |
---|
2022年 | (令和4年) | 南フランスにて、「ラベンダーコマンダー(司令官)」の称号を授与される。
|
---|
これからも、大好きなラベンダーを大切に育てつづけていきます。